障害を理解し支え合う社会へ一歩踏み出すMIZUHOプロジェクト

MUD(メディア・ユニバーサル・デザイン)

介助は一方通行では片手落ちと

当事者の方との時間で改めて感じたことだ

自燃社員づくりに邁進する印刷会社の後継社長の今日のメッセージ


昨日のブログに書いた

アジアパラ競技大会を活かした障害理解促進プロジェクト

みんなで考える共生社会とボランティアMIZUHO

アジアパラリンピックをきっかけに、共生社会へつながる地域活動に参加しました
地元を盛り上げたいと行政の方たちの思い 年代の垣根を越えた多様性の時間を過ごすことができた まさに官民一体となったSDGsだ 自燃社員づくりに邁進する印刷会社の後継社長の今日のメッセージ アジアパラ競技大会を活かした障害理解促進プロジェクト...

障がいを持たれる方からの、直接お話を聞く機会は

改めて触れさせられることが多かった

聴覚に障がいを持たれる方は

生まれながらにして耳が聞こえないから、それを不自由と感じることはなかった

人の口の動きを見て読み取るなど情報を取り入れる工夫を自分なりにしてきた

この方、ご高齢の方だったが、とにかく明るい方で笑顔が印象的で

障がいを抱えているマイナスの要素を感じさせなかった

偶然同席された方が手話を学ばれており

手話を使ったコミュニケーションで場がより和んだ

一方で、視覚障がいの方の介助経験のある方の経験談

耳元で「何かお手伝いすることはありますか」

ここまでは良かったのだが

良かれと思って手を持ったところ、手を払われ叱られたそうだ

実はこの経験は自分もある

確かに目が見えないのにいきなり手を掴まれたら誰でも驚くのは当然だ

また階段での介助では

階段があること、上りか下りかも伝え

階段の前で「最初の一段です」、終わりには「これが最後です」と伝えるように

障がいをお持ちの方から言われたそうだ

我々のような健常者から見た世界では

きっと不便だろう こうした方が助かるだろう

はあくまでこちらの事情

思いもよらない部分に不便や不安を感じている

のだと改めて思い知らされた

以前、色覚障がい者の方にインタビューをした際こんな事を言っていた

小さい頃から黒板の赤の字が読みづらかった

しかし見づらいのが重要なことだと自然と頭の中で変換していた

多様性が叫ばれて、多くの人への配慮が必要なことは言うまでもない

一方で

良かれと思った配慮が必ずしも当事者にとって有効だとは限らない

のである

パラリンピックは選手だけでなく

障がいのある方が多くかかわることになる

今回の瑞穂区の試みは、

サポートだけでなく障害のある方やご家族も一緒に取り組める内容を目指す

共生社会という言葉がタイトルにある理由だ

多様性がキーワードとなるSDGs

行政が地域に呼び掛けて進めることは共生社会の後押しになるだろう

我々の進めるメディア・ユニバーサルデザイン(MUD)

情報保障のあり方も改めて考える機会にしたい


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