SNSは生存確認のようなものかもしれない。
自燃社員づくりに邁進する印刷会社の後継社長の今日のメッセージ
かつて自宅の前の駐車場に赤い日産のnoteが駐車されていた。
ある日そのnoteが姿を消した。
この車の持ち主は、ご近所に住む母親が生前の時に色々と気にかけてくれた女性。
この方も高齢だが、介護施設の職員の方だと聞いていた。
随分、生前母親もお世話になり、葬儀にも顔を出してくれた。
しばらく同じ場所の白いハリアーが駐車されていたが
ほどなくなくなり二度とnoteを見かけることはなくなった
あくまで想像だが、施設に入られたのではないか?
同じことを最近SNS上でも感じる人がいる
直接お会いしたことはないが
Xで毎朝笑顔を発信していた、フリーランスのデザイナーの方
舞鶴の方で
●冬は雪かきで汗を流す様子
●交通安全の旗を持って通学時の子供たちの見守り
●仕事場で猫と戯れる様子
など、必ず笑顔で発信していた
その方が一ヶ月前から忽然と発信が止まったのである
直接お会いしたことはないが
同じ印刷関係ということもあり時折メッセージの交換をしていた
いったいどうしたのだろうか? 😥
と気になって仕方がない
ふと思うのだがSNSはある意味では生存確認ではないかと
同世代多くの方とネット上で知り合いになっている。
ネット越しに見る表情で
●元気にされているのか
●随分老けたなぁ(失礼)
なんて発信を見ながら毎日確認する
知り合いや同級生の同世代で
同世代の発信はチェックし活躍ぶりも拝見している
SNSの功罪が色々と取り沙汰される
しかし遠距離で普段なかなかお会いできない人
などを確認する機会には最適だと思う
元気にしているから発信することができる
元気な様子が自身も励みになる
自身も今年67歳。老け込む年齢ではないが
元気な発信を続けていきたい
その為に日々健康に留意だ
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